日本で初めて測量して地図を作ったのは?

伊能忠敬

歴史の時間に習いましたよね。
日本で初めて測量して全国地図を作成した人物です。

略歴

江戸時代の商人

1745年1月11日-1818年5月17日(享年73歳)

引退後、50歳を過ぎてから測量を始める

(当時は病気などで乳幼児で亡くなる割合が非常に高かったのですが、14歳まで生きていた人の平均寿命は50歳くらいといわれています)

西暦 年齢 出来事
1745 0 上総国(現在の千葉県)の漁師の次男として誕生
1762 17 家業が傾いていた伊能家(酒造、米の売買などを営む)に婿養子となる
⇒伊能家の一人娘ミチの夫が早世したため、忠敬に白羽の矢が立った
1783 38 浅間山の噴火、天明の大飢饉により米が大凶作
⇒日本各地で餓死者(90万人以上)が多く出るも、米の不作を予測し
買い占めていた忠敬が施しをしたため、村民は誰も餓死しなかった。
⇒村に対する多大な貢献をしたため、名字帯刀を許される(武士扱い)
1794  49  見事に伊能家を再建し、隠居生活開始 
1795  50  江戸に居を構え、幕府の天文学者 高橋至時(31歳)に弟子入り
⇒19歳も年下の先生と師弟関係になる
⇒天文学や測量の勉強に明け暮れる
1800  55  幕府から蝦夷地(現在の北海道)の測量を命じられる
⇒歩測を確実なものとするため一定の歩幅で歩けるように特訓し、
測量の道具も自作する
⇒亡くなるまでのあしかけ17年(3,736日)、約44,000kmの距離を
歩き測量を行う 
1818  73 病気で亡くなる
⇒事業は弟子に引継がれ、3年後に完成 

名言

・人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り、余生はいらない

・願望は寝ても覚めても忘れるな。泥棒でも、敵をやっつけるのも、美女を手に入れるのも、そう願う心をどんなに状況が変化しようが、一時も忘れずに心がけていれば、かならず成し遂げられる

・天文暦学の勉強や国々を測量することで後世に名誉を残すつもりは一切ありません。いずれも自然天命であります

エピソード

『しくじり先生』(テレビ朝日) ~2017/8/6放送分より


「周りのしがらみと仕事に追われ夢を追いかけることを後回しにしてしまった伊能忠敬」

「人生を2度生きた男」

・子供のころは、天文学者になり宇宙の秘密を解き明かしたいという夢があった

・婿養子となり家業を継ぎ、本来の酒造、米売買以外にお金や土地を貸したりする金融業を始める

・昨今の異常気象を鑑み、凶作になることを予測し米を買い集め蓄えていたため、忠敬の村は飢饉を乗り越えることができた

・商才を発揮し、稼いだ金額は(現在の価値で)35億円!

・50歳になって「地球の大きさを知る」という自分の夢を叶える人生を選択

・子午線(緯度)1度あたりの距離を歩いて測ることで、地球1周の距離を導き出そうとしたが、そのためには長い距離を歩く必要があった
 ⇒日本地図を作るという口実で、幕府から日本全国を歩き回れる許可を得た

・地球の大きさが39,852kmと導き出した
 (実際は40,752kmなので、その誤差は約2.2%)

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